マイベストプロに 「お客様の声」 という欄があります。 もちろんリリパットの場合は 「生徒の声」 とか 「ご両親の声」 ということになります。
これまで、この欄は使っていなかったのですが、子どもをキンダーにいれようか、リリパットに入れようかと考えているお母様方には、実際に通っている生徒の状況やご両親がどう思っているかなどがわかると、安心していただけるだろうと思います。
そこで、ボチボチ皆さんに原稿をお願いし始めているのですが、昨日ご紹介したR君のママにお願いしたところ、早速書いてくださいました。 マイベストプロにご紹介する前に、ぜひこのブログでもご紹介したいと思います。 実名でもかまわないとおっしゃってくださっていますので、ひらがなでお名前をご紹介します。
我が子をどんな風に育てるか、親としては夢もあり、また悩むところでもありますね。 子どもが生まれる前は、じっくり考えることもできたでしょうが、いざ子どもができると、日々の生活に追われますし、子どもも人形ではありませんから、なかなか親の思うようにはいきません。
そんな中でも、いつも真剣に教育を考えておられるかわばたさんのお考えは、きっと皆さんのご参考にもなると思います。 長くなりますが全文をご紹介します。
『リトル・キンダーの第一期生として、リリパットに大変お世話になった息子の、小学校に入学した1年生当時、大きな驚きであった出来事からお話してみようと思います。
小学校1年生のある日、小学校の教室内で、子供同士のちょっとしたいがみ合いがあり、何かの拍子に、ある子が息子を強く蹴り飛ばし、息子が大きな怪我を負ってしまう、という事件がありました。このようなことは子供を育てる上ではままあることで、親である私は、事件や怪我には驚きませんが、その蹴ったお子さんが、説明を求める小学校の担任の先生に言ったという言葉には驚きました。
「ぼくは蹴っていない。ただ、ぼくのかかとがぶつかっただけだ。」
もしも彼が手におもちゃを持っていてそれで人を叩いたら、それはおもちゃがぶつかっただけになるのかな、では手にしたものがハサミだったら、長じて彼の、手にしたものが凶器だったら、と、その言い方や考え方に驚いたのです。
リトル・キンダーでも、子供同士の社会があり、ちょっとした意見のぶつかりあいや、小さなケンカはよくありました。そんなとき、キンダーの先生方は慌てません。子供同士の様子や、周りの様子をよく観察して、すぐには止めに入らず、状況をよく見極めて判断し、お互いの言い分をしっかりと理解し合えるまで話をさせます。年齢的には幼い子でさえ、もしも同じようなトラブルがあったとすれば、このケースでは、「ぼくのかかとがぶつかってしまったが、そのかかとを持っているのはぼくなので、蹴ったのはぼくだ」という考え方を自ら導き出したことでしょう。
自分自身でとことん納得をして、お互いに、お互いの立場を思いあって、良くなかった点は謝りあう、そういう場面をキンダーではよく見ていたので、キンダーを卒業した息子が小学校に入学してから出遭った、いちばん初めの出来事としてよく覚えているのです。
私がリトル・キンダーに子供を預けようと決心したのには、それまで通っていた幼稚園に、親として深く考えるところがあったということがまずありました。おおまかに言うと、幼稚園ではまずその園での行事やプログラムなどの行動計画が優先される、ということでしょうか。子供の事情よりも園の事情が優先されてしまい、子供なりの考えや言い分は、園のスケジュールの中に処理され、埋没してしまいがちでした。先生方にも大人なりの事情があり、責任もあることなので当然ですが、ふとしたときに、「誰のための幼稚園かな。親としては子供が活き活きとした日々を送りながら学び、成長してもらうことが一番うれしいこと。大切なのは子供の日常で、決して発表会や親のための行事ではないのだけれどもな」という感想を持っていました。
そこで、その教育についての考え方に、かねてから深く同意していた裕貴先生が新しく立ち上げた『リリパット リトル・キンダー』の初年度に、裕貴先生の胸をお借りして、思い切って我が子を預けてみよう、と家族でよく話し合い決めたのです。
リリパットのリトル・キンダーでは、大人の事情で子供を動かす、ということはまずありません。
そうすると子供にどういうことが起こるか、というと、やりたい放題わがまま放題、自分勝手で好き勝手な子供が出来上がる、ということは絶対にありません。
逆に、子供たちは自然に自分達で、自分達なりの良心に従ったルールを作り、お互いを思い遣りあった一つの社会を自分達で創り出すのです。みんながよりやりやすくするためにはどうすればいいか、幼い子供のひとりひとりが、自分自身で一生懸命考えるようになるのです。もちろん、さりげない手助けは先生方がきちんと責任を持ってしてくださいますが、日々、当たり前の日常の流れの中で、挨拶や整理整頓や、清潔を保つことなどの日常習慣と同じように、習慣的に、快適に過ごすためのルールを工夫しはじめるのです。
そしてさらにユニークなことに、キンダーは、外国人の先生や子供がおり(英語圏のお子さまとは限らないところがまたおもしろいところです)、3歳の子もいれば6歳の子もおり、それぞれの立場をお互いが思い遣りあう、そういうユニークな中にも秩序だった一個の社会です。絶対的なルールは一つ、キンダーにいるときは英語でおしゃべりすること、これのみです。
キンダーに通わせていて、「ああそうか、そういうことだったのか」とハッと気付いたことに、この、英語で話す、という点もありました。まず『I』から子供は話し、そして『YOU』と向かい合って話し、『We』で遊び、『He』や『She』の立場を考える、ちいさな彼らの社会では、まずはコミュニケーションが大切なルールなのです。コミュニケーションが一番大切ですから、最初はおどおどした、めちゃくちゃな文法での英会話も、相手に伝わるように、伝えるためにはどうすれば良いかな、と子供が自分で感じながら考えながら、日常の中で実践し、体得してゆくので、いつの間にかふつうに英会話として成立した会話を、外国人の先生とも、子供同士でも対等にしている様子には、親のほうが驚きました。そういう良循環が子供たちのなかにあると、英語か日本語か、などということは全く関係がなくなってくるのですね。
リトル・キンダーはただの「英語のしゃべれる子」を作るための教室ではありません。大切なのは子供のコミュニケーション力を育てること、それがキンダーで学んだことの一番の宝物です。
学び、というものは目の前の成果ではなく、目に見えないかたちで、あとあとからゆっくりと成長する、そういうものかもしれないな、と一人の親として、リリパットには、こんな感謝の気持ちを持っています。
かわばたちかこ 』
マイベストプロ 平川裕貴のコラム『なぜそんなに楽しい?』今日の四字熟語 夜郎自大 やろうじだい実力のない人間が、己の力量もわきまえず得意然とお威張りしているさまを夜郎自大と言います。 これは、中国の故事に由来する言葉で、昔、中国の西南にいた「夜郎」が漢の強大さ広大さも知らず、井の中の蛙で自分達が一番強いとおごり高ぶっていたことから、出来た諺なので、野郎では間違いなのです。
posted by ゆうきひ at 18:40| 兵庫

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